うつ病になった ~病院に行くまでの私の様子編~

突然ですが、私、うつ病になってしまったようです。

生後10ヶ月のときに、病院に行き、診断をされました。

子育てによって、うつになったかどうかは定かではないのですが、私の状況や経験を少しでもどなたかのお役に立てればと思い、記録することにしました。

何回かにわけて書くつもりです。

今回は、なぜ、病院に行こうと思ったかを書きたいと思います。

産前から不安いっぱいだった

私は、今回の妊娠で、実は、嬉しい気持ちもあったのですが、不安の気持ちのほうがものすごく大きかったです。

元々、年齢も高く、高齢出産であることで、健康な子が産めるかどうかの不安。

体力おばけの小さい子供を育てる体力があるかどうかの不安。

子供が成人する時、自分は60歳を超えているという不安。

そもそも子供が嫌いだったので、自分のこどもを愛せるかの不安。

妊娠糖尿病にもなり、健康な体を維持できるのかどうかの不安。

不安が募るばかりでした。

不安に押しつぶされそうになり、泣いて過ごす日や落ち込む日もとても多かったです。

夫に、日記を書いて、自分の気持ちと向き合うといいと言われ、思っていることを沢山日記に書きました。

それがよかったのか、自分の気持ちを整理して、何に不安になっているかなどを見つめることができ、なんとか前向きに進めるようにできていたように思います。

しかし、すぐにまた不安にかられてしまうこともしばしばありました。

出産前から、とても精神状態が不安定だったのかなと思います。

実はずっと鬱かもしれないと不安に思っていた

そして、もう一つ、私には、心の奥で心配していることがありました。

それは、3年ほど前までの、仕事をしていたときのことです。

正社員で働いていたのですが、その会社では正直ブラック企業で、月の残業時間が200時間を超えるような事もあるほど、仕事漬けだった時代がありました。

仕事内容もかなりつらく、元々興味のない仕事内容の部署に配属されており、それでもそこで期待されているのならと、がむしゃらに働きました。対客の仕事だったのですが、トラブルやクレームも多く、その対応に追われる日々でした。中間管理職で、上層部と部下の間の板挟みできついと感じたこともありました。

今思うと、真面目に頑張ってしまっていたので、会社にいいように搾取されていたと思います。

しかし、その時の自分はそれに気づけず、ただただ頑張ってなんとかしなきゃと寝る間も惜しみ、部下が苦しんでいるのは自分のせいだと自分を責め、うまく回らないことがあると自分の能力が低いからだとまた自分を責め、上層部に怒られてはまた自分の考えが至らなくてなんて能力が低いんだとまた自分を責め、とにかく、自分を責めて泣いていた日々でした。

その様子を夫がどうにか脱却させたいと思ってくれて、2年位かけて私を説得し、退職するようにすすめてくれて、私も退職しようと決意し、退職しました。

その頃の様子を夫は、鬱だったのではないかと思っていると言ってました。

私は、その頃の記憶があまりないです。あるのですが、よく覚えていないという感じです。

仕事をやめて1年以上経った頃、夫に随分回復したと言われ、自分で振り替えれるようになって、初めて、もしかしてうつだったのかもと思うようになりました。

一度うつになると、またなりやすいと思っていたので、ストレス過多になると心配だなとは思っていました。

産後1ヶ月は悲しい気持ちが強かった

そして、壮絶な出産を経て、やっとのことで我が子をこの世に産み落としました。

最初の5日間は入院生活だったのですが、地獄のように辛かったです。

体も痛いし、眠いし、きついのに、母子同室で休む間がありませんでした。

おそらく、マタニティブルーだったと思うのですが、毎日泣いていました。

そして、退院後は夫がとりあえず1週間は私が休めるように全部やると言って頑張っていたのですが、新生児のワンオペは誰でもきつく、夫も3日目くらいから疲れでイライラしたり、怒ったりするようになりました。

その様子に危険を感じて、しっかり寝る時間は確保してほしいことを涙ながらに訴え、夫も自分が疲れすぎていると、私へのケアができないことに気づき、睡眠をしっかり取れるよう、交代で世話をするように変えてくれました。

しかし、その事があって、夫の健康も心配で心配で仕方なく、夫とのすれ違い生活もまた、ストレスで、生む前のほうが幸せだったと感じることも何度もありました。

こういうことを言うと、嫌な気持ち担ってしまう方がいるかもしれないのですが、ここは正直にお話します。正直、我が子が可愛いと思えるような精神状態ではなかったです。

お世話をしないと死んでしまう不思議な生き物がいるので、頑張って世話をしているという感じでした。

そして、そう思っている自分に対してもがっかりして、とても悲しい気持ちになっていました。

生後3ヶ月までは徐々に安定してきた

生後1ヶ月を過ぎた頃、夫も私も生活に少しずつ慣れ、夫と会話するタイミングも作ることができ、少しずつ精神的にも安定してくるようになりました。

我が子もちょっとずつ表情が出てきたりするなど、可愛いと感じるようになり始めました。

夫の育休が生後3ヶ月いっぱいまでなので、それまでの間は、二人で育児に全集中でき、お互いに少しだけれど、自分の時間を取ることや、しっかりとした睡眠を取れることで、気持ちも楽でした。

この時期は、夕方に黄昏泣きがありました。

私はとにかく、我が子の泣き声に弱く、泣き声を聞くと心拍があがり、焦る気持ちが出てきてしまい、冷静でいられなくなってしまうのです。

黄昏泣きは、何をしても泣き止まないので、泣いている子を抱っこしながらただただ、泣き止むのを長い時は1時間以上待つしかないという地獄でした。

それが精神的にきつく、一緒に泣いてしまうので、夫がそのタイミングは自分がみると言ってくれて、私は別室でイヤホンなどをして、泣き声を聞かないように配慮してくれたとかげで、ずいぶん楽に過ごすことができました。

夫の育休が終わり在宅へ。子供と二人きりの時間が増える

そんな夫の育休があけてしまい、仕事が再開となりました。

とはいっても、3ヶ月間は完全在宅で仕事ができるので、家にはいてくれていました。

それでも、これまではいつでも声をかけられるところにいたけど、仕事で部屋にこもるようになったので、子供と二人で過ごす時間が格段に増えました。

子供も生後4ヶ月を過ぎてきて、少しずつ起きている時間が増えてきた時期で、どう遊べばいいのか悩み、こんな育て方でいいのだろうか、こんな接し方でいいのだろうか、私はちゃんと母親できているだろうかと、思い悩むことが増えました。

また、離乳食が始まり、はじめの頃はうまく食べてくれない事も多かったり、毎日何をあげるかや、食材などの管理で離乳食のことばかり考えるようになり、少し疲れたなとか、これがずっと続くのかなど、重い気持ちになることも多かったです。

それでもそういう不安は、日記に書いたり、夫に伝えたりして、吐き出せていたし、夫も家にいたので、夜の寝かしつけは夫が対応してくれたので、少し自分の時間を夜にとることなどもでき、まだそこまでつらいと感じては居ませんでした。

夫の出社が再開。いよいよワンオペデーが発生

生後7ヶ月頃から、夫の出社が再開しました。

とはいっても、週3日だけで、残り2日は在宅だったのですが。

それでも3日連続で夫が不在になるので、我が子と二人で過ごすようになります。

本当にちょっとしたことだったのですが、在宅だと、休憩時間にひょいっと現れる隙にトイレにいったり、お昼休憩中は夫が構ってくれている間に歯を磨くなどの自分のことができたり、その少しのひと休憩があったことに気付かされました。

出社してしまうと、それが全くなくなるので、トイレに行くのもタイミングをはかるし、一時も休まる瞬間がなくなりました。

離れると泣くようになってきた時期でもあり、トレイにいくだけでも大泣きされてとても落ち着いてトイレにいけませんでした。

自分のシャワーもなんとか入らないとなので、洗面所に待たせて、ドアをあけて急いでシャワーをするというスタイルで過ごす日々も、慣れはしたものの、落ち着かないものでした。

そして、何より私のつらいと感じるのが、泣いてしまうとき。

他の人のブログなどを見ると、この時期くらいからは子供の泣き声に慣れてきている人が多いようだったのですが、私はなかなか慣れず、ギャン泣きされると今でも軽くパニックを起こします。

とにかく、泣かれてしまうと精神面の体力がゴリゴリ削られてしまい、とてもつらい日だったと感じるようになりました。

我が子は、夕方にぐずることがあり、それが辛かったです。

お風呂も嫌いで、シャワー中にギャン泣きしたり、スキンケアも嫌いでギャン泣きされるし、鼻吸いも嫌いでギャン泣きされるので、ワンオペでこの泣きと向き合わないといけないのは、本当につらくて、今でもやりたくないと思っています。

一人で問題なくこなしたい気持ちと一人がつらい気持ちの葛藤

しかし、世の中の多くのパパ・ママは、こういう事を一人でこなしているんだと思うと、そんな甘えたこと言っていられない、一人で難なくこなしたいと思う気持ちもありました。

我が子の世話なんて、そこまで大変に思う事ではないはず。やってみたら全部できるのだから、大変なことではないはず。

それに、仕事をしてくれている夫に心配もかけたくないし、仕事も大変なのに、育児もかなりやってもらっていて、それでは夫の負担が大きくなってしまうということも心配していました。

一人でちゃちゃっとやれるから、心配せずにゆっくり休んでと言いたい自分がいました。

一方で、一人でやるのがつらくて助けてと思う自分もいました。特に、夫が出社するようになってからは、夫に助けてをだいぶ言ってしまっていたように思います。

自分のつらさを少しでも和らげたくて、夫を頼りにしていたのです。

一人でやりたいと思う理想の自分と、一人ではつらいと限界を感じる現実の自分との葛藤で、毎日思い悩むようにもなっていました。

寝かしつけのネントレがトラウマレベルでつらい

ワンオペで最も私が恐怖していたのが、夜の寝かしつけでした。

夜は夫担当だったこともあり、夫の方針で、夜ベッドに置いたら、泣いても基本的にはそのまま放置するという方針です。いわゆる、ねんねトレーニングで、一人で寝れるようにするためのトレーニングです。

子供が泣いてもそのままにしておけば、すぐに寝るようになりました。

そして、生後6ヶ月頃には、夫が寝かしつけをして置いたら、起きていたも泣くことなく、しばらくすると自分で目をつぶって寝るようになってくれました。

生後7ヶ月を過ぎ、夫が不在の時は私が寝かしつけをするようになったのですが、最初の方は、私がやってもすぐに寝てくれて、非常にねんトレに感謝をしていました。

ところが、生後8ヶ月の後半頃から、私に対する執着心が強くなってきていたこともあり、私が寝かしつけしてベッドに置くと、泣くようになりました。

すごく眠い時は5分ほどで寝てくれるのですが、そこまで眠くない時は、20分以上、この世の終わりのような泣き方で泣くようになりました。

夫が居ない我が家で、子供が泣いているのに、基本的に構っちゃだめと言われているので、泣き声が聞こえる中、リビングで苦しい心を抑えながら我慢するのが本当に辛かったです。

すぐにでも抱きしめにいきたい、よしよししたいという衝動をこらえながら、私も泣きそうになっていました。

そうなってからも、夫がいるときは夫が寝かしつけするので、同じように寝かしつけても泣くことはありません。

私の時はどうやら、母親が大好きで母親と離れること自体がとても嫌なようで、普段からもその傾向があるのですが、それが夜も出ているようなのでした。

夫も、この泣き方は、ネントレのときと違った泣き方だから、母を呼んでいるのだろうなと言っていました。

この、私を呼ぶ声に答えずに我慢するのが本当につらくて、正直、またやるのかと思うと恐怖でしかない、トラウマのような時間になっていました。

心配ごとがあると息苦しく、寝付けなくなった

そして、色々な心配事があると、夜に寝れなくなってしまいました。寝ようと目をつぶっているのですが、いっこうに寝れない日々が続き、寝不足になっていきました。

寝れても、夜中に起きてしまい、そのまま寝れないことも起きました。

慢性的な寝不足により、体調も悪くなっていきました。頭痛も毎日するようになりました。

そして、夫が出社する日は、朝から息苦しく、息をしても酸素が足りない感じがして、深呼吸のような呼吸をするようになりました。

さらに、夕方頃から、とくにきっかけがあるわけではないのに、突然悲しくなって泣きたくなることが何度も続きました。心の中で、何がつらいのかわからないのですが、つらい、つらいと叫ぶような痛みを感じるようになりました。

これはおかしい、まずいと感じるようになってきたのです。

病院に行く決意をした

こうして、さすがにどうにかしないと生活に支障が出てきそうだったので、病院に行くことを決意しました。

病院に行くのも簡単ではありません。

病院選びからしないとなのです。正直、心も疲れているので、病院探しは、かなり重労働でした。

なので、あまり吟味せずに何個か見た中でここでいいやという感じで病院を選びました。

予約は電話だったので、これもハードルが高かったです。電話するのって、勇気いりますよね…。

子供が寝ているときには電話できないので、起きているタイミングで、頑張って勇気を出してかけました。

あっさりと予約できたのにはびっくりしました。

ただ、新規は混み合っていて、3週間後の予約になりました。

最後に

これが私の様子の変化になります。

正直、あまり上手に書けなかったとは思うのですが、こんな恵まれた環境でもこのようになってしまうのだなと書いてて思いました。

苦しく感じたり、大変と感じるのは、本当に人それぞれだと思うので、私の場合も、気負いすぎて苦しくなっちゃったのかなとは思います。

今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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