出産日記~入院3日目_後編:薬投与の延長と出産~

入院3日目、陣痛促進剤投与2日目のお話です。

前編では、お産が思うように進まず、今日の薬投与は一旦終了して、明日また頑張ることになるだろうと先生から告げられたあと、うんちが出たかもと診察をしてもらい、進んでいるけれど赤ちゃんがまだ高いので重力で落とすような姿勢で頑張るように言われました。

ここからは、後編です。

苦手な座り姿勢とテニスボールの登場

お産を進めるために、重力を使って赤ちゃんをおろす作戦を再び実行するように助産師さんに言われた私。

正直、座り姿勢では陣痛に耐えられないので、どうしようか悩んでいました。でもなんとか頑張らないとお産が終わらないと思ったので、とりあえず、体を起こし、ベッドに座りながら、どうしようか考えていました。

すると、その様子を見た助産師さんが、大きなバランスボールのような物を持ってきて、これを抱き締まるような形で座るのはどうか?と提案してくれました。

抱きしめてみると、ピンクの椅子よりは楽に感じたので、それをベッドの上で抱きしめるようにして座ってみることにしました。しかし、陣痛が来るとやっぱり座り姿勢は耐えられませんでした。

そのまま、ボールに体を乗っけるような形で四つん這い?に近い体制になり、頭をベッドに押し付けて、お尻をあげるようなすごい体制で耐えることになりました。

でも、助産師さんが、それでいいですよとおっしゃってくれました。陣痛ないときだけでも座り姿勢だったらそれでいいと思うとおっしゃってくださったので、このボールを抱えて、陣痛が来たら乗っかって四つん這いっぽい形で耐えてという体制で頑張ることにしました。体を大きく動かすので、陣痛のたびにとても体力を使うなと思いました。でもこれを耐えないと進まないと思ったので、体力の続く限り頑張ることにしました。

この姿勢をしている頃は、かなり肛門が痛くなっていたので、陣痛が来たら、夫にテニスボールで肛門を思いっきり押してもらうようになりました。これがかなり痛みを逃してくれてすごく助かりました。陣痛の痛みにあわせて、押す力を強くしたり弱めてもらったりを手で指示しながら、耐えました。夫には本当に感謝です。

しかし、話に聞くテニスボールが本当に聞くとは、面白かったです。肛門の痛みは何かが出てきそうになるような痛みに近くて、それをテニスボールで押して押さえてくれることで、痛みが耐えやすくなったのです。痛みがなくなるわけではないのですが、とても楽になったように思います。

ちなみに、テニスボールは、病院が貸してくれました。こういうアイテムは置いてあって、必要そうなら出してくるという感じで貸してくれました。本当にあってよかった。

あとから聞いた話ですが、このテニスボールをあてて押すときの力は、想像以上にとても強い力で押し付けていたと行っていました。テニスボールの形が変わるくらいのかなり体重をかけて相当な力で押していたそうです。本当にこんなに押して大丈夫???と心配になるほどだったそうですが、私の指示でもっと強くもっと強くと言われて押していたので、これでいいのかと思いながらやっていたそうです。退院後どれくらいの強さだったかを再現してくれましたが、あまりの強さに途中で「もういい!強すぎる!」と止めてしまいました。それくらいものすごく強かったのです。でもそれくらいでないと耐えられないくらいのものすごい痛みがきていたということで、正直納得です。

16:00 薬が切れる頃なのに思っていたら延長されていた

今日はもう延長はないと聞いていたので、16時頃には薬が切れ始めて、陣痛間隔が長くなったり、痛みが少しずつ弱くなったりするのかなと思っていたのですが、その気配が全くありませんでした。

ずっと陣痛の間隔は2分半~3分程度だったし、陣痛の痛みもずっとピークに痛いままでした。既にピークの痛みをもう2時間以上続いていたので、ヘロヘロになっていました。

もう延長がないと聞いてからは、16時ころから間隔が長くなると思っていたのですが、なかなか変化がないので、おかしいなと思い始めました。そして、嫌な予感がしました。

もしかして、薬が終わらず、このまま続けることになった…?

もう気持ちの上では、明日への繰越となり、今日は一休みできるというつもりだったので、そうなると心の持ちようが変わるので、かなり動揺しはじめました。そして、恐る恐る夫に「ねぇ、もしかして、薬延長したりしてる?」と聞いてみました。すると、「延長になった」と聞かされました。

絶望しました。

もうすぐ休憩できると思っていたので、ショックでした。冷静に考えたら、もうすぐお産で痛みが終わる方向に進んでいるので、喜ばしいことのはずなのですが、もう痛すぎて、とにかくもうすぐこのずっと痛いままなのから少し休憩時間ができると期待していたので、それが遠のいたことにとてもショックでした。

あと2時間程度頑張れば、陣痛間隔が5分とかになるはずと思って2時間くらい頑張ってきたのに、まだまだインターバルがほぼないこの痛みとの戦いを続ける必要があったのかととても悲しくなりました。

座り姿勢もしばらくしたら、痛みの連続は一旦ひくので、そこまでの心房だと思って、最後の力を振り絞って頑張っていたのに、あと何時間やらなけれないけないのかととても苦痛に感じました。やめたいのにやめさせてくれないことが辛すぎて泣きそうになりました。でもすぐに発狂レベルの強い陣痛はやってくるので、泣く余裕すらありませんでした。泣くと呼吸が乱れるので、痛みを耐えられなくなるため、泣くことすらできなくなるのです。

夫の話では、まだ進捗はそこまで大きくないけれど、進んだ感じはあるので、今日中に生まれるんじゃないかという風になっているとのことでした。

いつそんな話になったの?当事者のワタシに誰も話してくれてないけど???と怒りもありましたが、もしかして陣痛の時に話してくれていた?とも思ったので、責めることはできませんでした。

そして、私は考え始めます。

ゴールは出産だ。これで終わる。でもそのゴールまであと何時間?何時間耐えればいい?今日中ってことは、23時半くらいまでには生まれるってこと?23時半だとしたら、あと7時間くらい?7時間だったら、今日の促進剤を打ち始めてから耐えた時間より短い?今耐えた時間より少ないってこと?

などと、この民との戦いのゴールを探して、なんとか自分を奮い立たせていました。辛すぎて、逃げ道もなく、やめることもできず、休憩することもできず、こんな地獄のような状況で、自分を救えるのはゴールだけなので、あと7時間耐えたら終わるよ!と自分の心の中に言ってあげて奮い立たせていました。

心の救いは夫だった

このときには、もう痛みが辛く、助産師さんや先生も敵のように感じていました。こんなにつらいのに薬をさらに投与して鬼なのか?と思ってしまうのです。全然そんなことはなく、むしろ早く終わらせてくれようとしているのに。痛みでどうしても謎の考えが生まれるようです。

しかし、そんな中でも夫の存在はとても心の救いでした。

夫は、陣痛が来るたびに毎回、一緒に呼吸をしてくれました。私が痛みに呼吸が乱れたり、力を入れすぎている場所があるとこうなっているよと教えてくれました。ただ、側にいて一緒にいてくれるだけで、心を保つことができました。本当に立会ができてよかったと思っています。一人だったら、耐えられなかったのではないかと本気で思います。

1日で出産が終わらなかった時も、陣痛ピークが続きすぎてもう耐えれないと思った時も、お産が進んでないから明日も続くと言われた時も、薬延長になって痛みピークが更に継続されると知った時も、ボッキボキに心が折れてしまったのですが、それでも夫がいてくれたので、すぐに自分を奮い立たせて頑張り続けることができました。

夫に心から感謝していました。手を握っててくれるだけで、とても心強かったです。

点滴ののところが内出血

陣痛で苦しんでいるときは、痛みと戦うことにしかどうしても気が回らないので、点滴の管がよく曲がってしまって点滴の機械がピーピーと音を鳴らしていました。

ハリが血管に当たるとピーピー言うらしいのですが、陣痛時にはどうしてもものすごい格好になることが多く、腕にもものすごく力を入れているため、何度もその警告音がなってしまいました。前日の時からずっと何度もなっていました。

そして、ついに、その影響からか、点滴の針を打っている左腕がジンジンと痛みだしました。お腹やお尻の痛みの方が強すぎてあまり気にしてなかったのですが、ふと見た時に内出血していることに気づきました。

あ、血管切れた? そう思い、助産師さんに報告しました。すると、点滴の針の位置を変更することになりました。場所は左手の手の甲になりました。

針を打つ先生を呼んできてくれて、左手に新たにうつことになったのですが、その間にも陣痛は容赦なくきます。陣痛が来ても左手に針を打ってもらっているので動かすことはできません。なんとか左手を動かさないようにしながら、打ってもらっている横でうずくまってフゥーーーー!!!と息を履きながら痛みをこらえていました。うまく手を動かさずにいられたかはわかりませんが、私なりには努力しました。

手の甲にうつしてからは、ピーピーなる回数は減ったと思います。なくなりはしませんでしたが…。

17:20 診察。子宮口は9.5cmまで進捗

ボールでの座り姿勢と四つん這いでずっと頑張り続けていました。そこへ診察にきました。

診察のために姿勢を変更するのは陣痛が促されて本当にきついです。ですが、見てもらわないとなので、こちらも必死で姿勢変更します。今回も診察がとても長く、陣痛が何度も到来しました。辛かったです。

ですが、進捗はありました。

なんと、子宮口が9.5cmまで開いたというのです。ずいぶんと進捗したように感じました。しかし、肝心の赤ちゃんはまだ遠く、ちゃんと降りてきていない状態のようです。座り姿勢と四つん這い姿勢、あんなに頑張ったのに。

赤ちゃんがまだ遠いけれど、子宮口が全開になったら、いきみつつ、引っ張り出すことを考えているとの先生からの報告があったそうです。よかった。あと少し。頑張れ、自分と言いながら頑張っていました。

ところが、このあたりで、座り姿勢から陣痛のたびに体を動かしてお尻をあげる姿勢にする足も、四つん這いで自分の体を支える腕も限界に来ていました。プルプルと震え、支えきれなくて四つん這いのときはほぼ頭がベッドにくっついて頭でも支えていました。

そして、陣痛が収まってきても、また座り姿勢に戻る体力が残っておらず、その情けない姿勢のまま息をハァハァと整えるのに必死になっていました。夫も心の中で、「体力の限界なのかな」と思っていたようです。

17:40 破水したかも?ということで診察

陣痛がおさまるときに、何か出たような感覚がありました。

出血しているので、血が出たのかな?と思ったのですが、少し体を動かした時にもまた何か出たような感覚があったので、やっぱり何か出たかなと思い、助産師さんに一応報告しました。

何か出たような気がします。水っぽいような…?と。

すると、診察しますねと診察してくれることになりました。ところが、よくわからなかったようです。

しかし、子宮口は全開になっていたようで、助産師さんたちが「髪の毛触れる?」などと会話しているのが聞こえました。そして、「ちょっと次の陣痛でいきんでみて」と言われたので、いきんでみました。

いきむのは、いきみ逃しするより痛みを耐えやすかったです。

そして、残念なことに、このタイミングでおそらく脱糞しています。助産師さんは何も言いませんでしたが、私が「今、出ちゃった気がします」と申告したら、「そうね。いいのよ」みたいにさらっと流されました。あまりに当たり前のことのようだったので、もう気にしないことにしました。色々読んで、出産時に出てしまうことはよくある話らしいので、仕方ないことと割り切りました。

診察時間はかなり長かったです。あとから考えた結果ですが、おそらく子宮口が全開になったので、このあとどうすべきかを相談していたのだと思います。赤ちゃんが降りてきていないけど、でも触れるらしい位置にはいるらしく、それを引っ張れるのかとか、いろいろ検討していたようでした。

18:45 いよいよ分娩へ

急激に状況が変わりました。

産科の先生がやってきて、診察をしてくれました。

そして、バタバタと沢山の人がやってきては、色々と準備を開始しているようでした。さっきまでなかった赤ちゃん用ベッドなどが運び込まれてきて、「あれ?分娩するの?」と思ったので、陣痛の合間に「すいません、これからどうなるのですが?」と聞いてみると、「分娩に入るよ」と言われました。

そうなら、そうと一言言ってくれてもいいのにと思いつつも、そうですかと答えました。そして、「陣痛が来たらどうしたらいいですか」と聞いてみると、「いきんでいいよ」と言われました。え?そうなの? もう少し丁寧に色々説明してくれても良くない?とちょっと思いました。正直、このあたりは少し不満に思っています。当事者の私が何もわからず周りが勝手に進めている感じがして嫌でした。

夫も診察中はずっと外にいるので、私に寄り添ってくれる人も誰もいないことが、より心細くしていました。

色々準備が整ったところで、助産師さんにいきみ方を教わりました。

いきみ方は、手を下の握りで握って、頭をあげておへそを見る感じにまるまり、目を開けて息を止めて力を込めると言われました。確かに力を込めやすそうだなと思いました。ただ、この状態でいきむと、便が漏れると思いました。先程出しているけれど、まだ何か出そうに感じました。「うんこが出てしまいそうです」というと、「それは赤ちゃんだよ」と言われました。赤ちゃんは、便のような感覚で出てくるのかと、色々読んで知ってはいたけど、ここまで区別つかないとは思いませんでした。

しかし、いきんでよくなると、今までと違っって力を込めて言い分、痛みとは戦いやすいと感じました。今までは、痛いのに力を入れてはいけないので、それがかなり辛かったですが、今回は痛いのを思いっきり力を込めて対抗できるので、まだ耐えやすかったです。

分娩のタイミングを見計らっていた

分娩開始とは言われたのですが、なにやら先生たちが話し込んでいて、いよいよ!という感じにはなってきません。

体制は完全に分娩用に仰向けになって、足も開いてピンクのカバーをかけられているし、陣痛がきたら、一人で勝手にいきんでいるし、まわりの人も手術着とまではいかないけど、カバーのような服を着て準備しているのに、よく見る光景の妊婦さんを囲んで、「力んでー!」とかの感じの声掛けとか始まりません。

私もずっとまわりを見続けることができず、陣痛がきたら2分近くはもうまわりが全く見えないので、断片的に様子を見ている状況では、今はなにの時間?という感じでした。

何より、夫がなかなか戻ってこないので、私に状況がなかなか伝わらず、不安もいっぱいありました。

余談なのですが、分娩時に足にピンクのカバーをかけるのですが、これはなんでだろうと思っていたら、出産後にわかりました。出産時の出血で足が汚れるのを防ぐためのものだと思われます。というのも、めっちゃ血で汚れていたからです。すべての処置が終わったら取り外して捨てられていましたが、結構汚れていました。

出産はものすごい出血するんだなと思いました。

19:30 分娩開始

産科の先生がやってきました。このときは、当直の先生(たまたま私を主に見てくれていた先生だった)と、インターンの先生と、ベテランそうな先生の3名が来てくれていました。3名が代わる代わる診察をし、状況を相談しあっていました。

そして、吸引分娩することになりました。

子宮口全開から2時間が経過したが、まだ赤ちゃんは完全にはおりてきていませんでした。そのため、吸引して引張だすことになったようです。

このときも、私への説明はありませんでした。夫の方に説明したようです。

当事者の私は、”吸引”という言葉が聞こえた気がして、もしかして吸引分娩するのかな?そしたら、医療保険から保険料が出る!ということだけを考えていました(笑) どれだけお金が欲しかったのかと笑ってしまいますね。

そして、なんと、吸引分娩するので、ちょっと切りますねと言われ、麻酔打ちますと言われて、麻酔をお股のところに打たれました。チクっとしたので、「いてっ」と思いました。その後、どうやらチョキチョキ切ったようですが、麻酔のお陰でその時は全然わかりませんでした。

どうやら、赤ちゃんの位置がまっすぐではなく横に方(たぶん思いっきり切ったのが左側だったので、左より)にいたようで、吸引具を入れるために切ったようです。後に気づくのですが、かなり置くまでしっかり切ったようでした。ここの傷が一番腫れがひどくて治りも悪かったです。

ついに出産

夫も部屋にやってきて、いよいよ分娩が始まりました。

産科の先生は3人、助産師さんも二人いて、産科のベテラン先生が私の横に経って「少しお手伝いしますね」と言いました。「お手伝いとは、何を刷るのでしょうか?」と聞くと、「ちょっと押して出るのを手伝いますね」と言われました。なるほどと思いました。

そして、お股の方には、当直の先生と助産師さんが2名ほど立っていました。インターンの先生は見学だったようで、少し斜め後ろから見ていました。

陣痛が来たらいきんでくださいと言われたので、陣痛がきたら「もうすぐ来ます」と予告をしてから「来ます!」と言っていきました。その合図に合わせて、横に立っていたベテラン先生が思いっきり私のお腹を押し、お股の方では赤ちゃんを引っ張っているようでした。

もうどこが痛いのかわからないくらい、あっちもこっちも火がついたように痛かったです。

普通に陣痛のピーク時の痛みで下腹部とか肛門付近が痛いです。

お腹も男性が思いっきり体重かけて押していたので、すごく痛かったです。翌日に見たら、内出血していました。

お股の方も前日に号泣したラミナリアを抜くときの痛みの何倍ものすごく強い力で無理やり何かが出ようとしている感じでものすごく痛かったです。

痛すぎて、どこが痛いのかもわからないくらいでした。何度かいきんでいたのですが、なかなか出てきません。

そのうち酸素マスクをつけられました。赤ちゃんへの酸素共有が減っているのかなと思い、ハァハァと激しく息をしていたのですが、なんとか深呼吸して息を整えました。

そして、ついに次で出そう!という雰囲気のいきみがきました。私は思いっきりいきみました。かなり出かかっているのを感じました。でも引っかかっている感じもしました。なんとか頑張っていきんだのですが、息が続かず、息を吸ってしまいました。

私が力を抜いたせいなのか、その瞬間、ポンっと吸引の吸盤が外れてしまったようで、ジャバっと私の血がお股にいる先生と助産師さんにかかってしまったようです。私からはあまりよく見えなかったのですが、夫が目撃しており、後日談でびっくりしたと聞きました。

惜しかったようですが、もう一回頑張ろうと言われました。

ベテラン先生と当直の先生が入れ替わり、当直の先生がお腹を押すかかりになりました。

「これでだめなら、帝王切開になるからね」と言われました。

え?お股、さっき切りましたよね? その上でお腹まで切るの? 二重苦ではないですか?

そんなの辛すぎる。吸引分娩しているなら、保険はそれでおりるから、もう帝王切開で切る必要はない。どうにかこのまま下から産まないと辛い!!と強く思ったのを覚えています。

そして、また陣痛がやってきます。「次で出そう」とみんな気合が入っていました。もちろん私も。

私は、さっきは私の息が続かなくて失敗したと思うから、本当に限界まで我慢しようと決めました。お腹を切る事態をなんとか避けようと思っていたのです。

息が限界!!と思ったところで、「一瞬吸ってすぐにまたいきんで!」と助産師さんに言われて、言わるがまま、一瞬で息を吐いて吸い、またいきみました。お腹は先程よりも強く押されています。股からありえないサイズのものが引っ張り出されようとしている痛みもあります。でも、なんとか出したい。出したい。終わりにしたい!という気持ちで頑張りました。

すると、ギュンとなにかが通ったような感覚がありました。「頭出た!」と言われました。

出たんだ!出たんだ!できた!できた!

私はやりきった気持ちになっていました。もう終わったつもりでいました。あとは産声を待つだけだと思っていたのですが、あまりに息を止めていたので、ものすごく息があがってハァハァしていて、脳みそも酸素不足なのか、あまり色々考えることができませんでした。

すると、「あとは肩を出すだけですよ」と言っているのが聞こえました。「そうか、あとは肩を出すだけか」とハァハァと息をしていたら、「大丈夫?出来る?」と聞かれました。え?何を?と思っていると、「もう一回最後軽くいきんで」と言われました。え?あ、そうか、私かと思いました。

もうやりきったつもりでいたので、あとは私じゃないのかと思っていたのですが、最後出すのは私でした(笑)

最後、軽くいきむと、ニュルンと何かが出た感触がありました。頭が出る時ほどの痛みはなく、本当ににゅるんと何かが滑る出る感じでした。イメージは、タコとかイカの足がすべるでるような感じでした。

すると、産声が聞こえてきました。

生んだんだ!生んだんだ!生まれた!赤ちゃんが無事に出てきた!

私は、3日間におよぶ出産の苦労がここでやっと終了したことを感じ、やりきった!!!という強い達成感に包まれていました。夫の方をみて、「生んだ!」と言ったように記憶しています。後日談で、夫は、この時の私は、目をキラキラさせてとても達成感に満ちあふれているように見えたそうです。心の思いまんまの顔をしていたようです(笑)

後処理と赤ちゃんとの対面

私の病院では、生まれてその場で抱っこは頼まないと特にないらしく、私は生んだ直後はあまり赤ちゃんが見えませんでした。ですが、声はしっかり聞こえて、しっかり泣いているのがわかりました。

泣いている。生きている。と思いました。

その後は、胎盤を出すということで、処理をしてもらっていました。陣痛が全く来なくなったので、もう痛いことはないのかと思っていたのですが、普通に色々痛かったです。胎盤出す時もなんだかわからないのですが、引張出すのか?ちょっと痛かったです。

そして、その後は切れたところの縫合がありました。私は30分くらいかけて塗ってもらっていました。聞いたら、結構中まで切れているので、ちょっと時間がかかっているとのことでした。ラッキーなことに、先生が切る時に麻酔を打ってくれているので、そこまで痛くはありませんでした。ただ、入口付近は麻酔が効きにくいらしく、痛かったです…。まだ痛いことあるのかと悲しくなりました。

そうこうしていると、赤ちゃんが測定などがあるので、一回部屋かだ出ますということで、一度私のもとについれてきてくれました。

赤い。小さい。なんか泣いている。触っていいのかわからなくて、とりあえず、「ママだよ~」と声をかけました。まだ一度も触れていないので、正直、実感が全く湧いていませんでした。

外に出ていった赤ちゃんは、夫がちょうど測定の場面を見れたようで、初めてのおむつをつけるところも見れたそうです。いいなーと思ったりして(笑)

その後は、出産後の3時間はそのままLDR室で夫と生まれた赤ちゃんと過ごすことができました。私は寝たままだったので、あまり赤ちゃんはさわれませんでしたが、赤ちゃん、ずっと泣いてました。

こうして、3日間に及ぶ長い戦いのすえ、3人家族となりました。


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